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1645年より続く合資会社 八丁味噌(屋号:カクキュー) 19代 早川久右衛門さんと今一番注目する「食」について対談しました。

2017年9月6日(水)

はやかわ きゅうえもん
早川 久右衛門
プロフィール
昭和25年生まれ。
幼いころより合資会社 八丁味噌の十九代目として、敷地内で育つ。
八丁味噌協同組合理事長。平成18年10月に久右衛門を襲名。

1.八丁味噌の蔵へ

約7000坪の広大な敷地に建つ複数の建物。
カクキューは、ここで味噌造りから加工・包装・出荷まで全てを行なっています。
味噌を熟成させている蔵、そして早川家の歴史と技術が展示された史料館を見学させていただいた後、本社屋内でお話を伺いました。対談はそこからスタートです。

阪本貴重な味噌蔵を見学させていただき、有り難うございました。
写真で見たことはありましたが、実際に見て桶の大きさに圧倒されましたし、はるか先まで並んでいるその数と迫力に驚きました。建物も昔ながらの味噌蔵という感じでした。

早川さん
(以下、敬称略)
熟成は常温の蔵で管理しています。
八丁味噌は大豆・塩のみで作られるのですが、仕込みの際に水を少なくしており、石の重さを利用した大きな圧力と長期熟成が必要なんです。

阪本長期とおっしゃいましたが、どれくらいですか?

早川二夏二冬以上の、最低2年間は寝かせます。
寒暖の差が大きいことも環境条件としては大切で、熟成すればするほどコク・酸味・渋みなどが強くなっていく。ただ熟成させ過ぎることがいい、という訳ではないのですよ。

阪本熟成についても丁度良い時間というものがあるのですね。
大豆は何をお使いですか?

早川食の3重丸に申請した八丁味噌の大豆は三河産大豆です。
大豆の種類によって熟成の仕方が変わるのですが、経験則で良い頃合いが分かっており、最低2年以上。 矢作大豆で仕込んだものは3年以上寝かせています。
どの味噌も、味と香りの判定を行う「官能検査」などを経て、官能検査員が良いと判断したら出荷しています。

阪本そのように長期間保存するためには桶が大切そうですが・・・

早川江戸時代から徐々に増やしていき、ずっと使い続けているものです。
昔は社内で桶大工を抱えて作っていたのですが、今は外注しています。
一つの桶を縛るタガが7本と決まっているのですが、鉄だと一度伸びたら戻らないので、たまに締めます。竹タガは桶の伸縮に柔軟に対応して緩みにくい。
これも昔と同じやり方ですね。

阪本これだけ大きいと、桶の製作にも時間がかかりそうですね。

早川木材の調達まで考えると2〜3年かかります。
今の問題は、桶職人が減ってしまったことです。
6尺桶に関して言えば、作り手が全国に一軒だけと聞いています。職人さんの数が減り、木を乾かすのにも時間がかかっています。
木を切る季節も決まっています。

阪本作り方を守っていくということは、味噌造りだけでないところのご苦労もあるのですね。
木の調達先も決まっているのですか?

早川木桶には、吉野杉が適していると言われています。
吉野はもともと木桶を作るために木が栽培されていた歴史があるんですよ。
最近では三河にも杉の豊富な場所があり、それを使うこともあります。

阪本八丁味噌と言えば、その桶の上に石を積んでいますが、積み方が独特ですね。
どうして円錐状にしているのでしょうか?

早川一つの桶で6トンの味噌を仕込み、3トンの重石を上から職人が円錐状に積みます。
水分を少なめに仕込むため、多くの重石が必要となります。
重心が中心へと行くように、積んでいく。
これも江戸時代初期からの伝統製法の一つです。

阪本昔から変わっていないのですね。

早川実際にこういう積み方をしているところは、うちと隣の「まるや八丁味噌」(同じく八丁味噌の老舗)さんだけですよ。
うちの場合、江戸の頃には6トンという数字は記録として残っている。
八丁味噌は、昔から変わらぬ方法で造り続けているのです。

阪本長い間に、積み方や重さを変えてみようとされたことはないのでしょうか?

早川昔、ほかに良い方法がないか考えたことがあったらしいですよ。
でもうまくいかなかったみたいで、記録に残っていないです。
重労働なので、作業を省力化する方法は模索したようですが、結局元の方法が一番良いという判断になったのでしょう。

阪本カクキューさんは造り方や桶、原料にもこだわり、「昔ながらの」と言いますが、継承して守り続けていらっしゃるので、見えないご苦労がたくさんあったと思いますが。

早川工場見学に来られた方からも、「未だにこんなことやってるの?」と質問されることは多いようです。
もう、生き甲斐だとお答えするしかないですね(笑)アートのようなものだと。

阪本生き甲斐ですか。それが誇りなんですね。
こういう造り方になったのは、何か理由があったのですか?

早川もともと岡崎周辺は湿地帯です。
そのため保存性の効く味噌を求められており、三河武士の頃から栄養価が高い保存食が求められていた。
その結果、米を使わず腐敗しにくい豆味噌が作られてきました。
八丁味噌は一般的な豆味噌と比べて水分が少なく保存性が高いため、保存食としての評価を得ていました。
戦時中は海軍の食料として多く使われていたんですよ。

2.八丁味噌の起源

蔵を出た後に、史料館へ向かいました。
史料館の前に立つ石碑は、15代当主が残してくれたものです。
今川家の家臣であった早川家の先祖の新六郎勝久が、1560年の桶狭間の戦いで負けた時に岡崎の寺へと逃れ武士をやめ、久右衛門に改名しました。久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、現在の場所である岡崎市八帖町(旧 八丁村)で味噌屋として創業しました。
それが今でも続くカクキューの始まりだそうです。

阪本史料館もまた、大変な歴史を感じさせるものでしたね。

早川明治40年に建てられたもの。もともと仕込み蔵であった建物を改装して平成3年に史料館にしました。

阪本この岡崎市八帖町に店を構えたのには、何か理由があるのでしょうか。

早川味噌は兵糧として重要なものですから、岡崎城が近くにあったことは大きな理由の一つだと思います。
また、(上流河川の)矢作川がすぐ近くにあり、大豆と塩の運搬に便利だったことと、敷地の南側に旧東海道があり、人通りが良いところも味噌造りと商売に適した立地だったと言えます。
私たちは、岡崎城からちょうど西に八丁(約870mの距離)離れている、この八帖町(旧 八丁村)で造られた味噌を「八丁味噌」と呼び、その歴史と技術を守っています。

阪本先ほど見学させて頂いたような作業を今も変わらずされているとすると、
桶も大きいですし、味噌を入れて40kgにもなった半切りを二人で桶に運び入れる等・・・
労力を伴うものばかりですね。

早川あれは、昭和16年頃までの作り方を展示したものですが、自分が子供の頃でしたので、モデルになった職人さんたちのことも覚えています。
味噌造りの基本工程自体は、当時と今とで変わらないですね。
フォークリフトやベルトコンベアが普及して、作業が少し軽くなってきましたが。

阪本どれも大変な作業ですね。

早川もともとが重労働です。自分はもうやらない、というか若い者に任せていますが(笑)

阪本370年前から変わっていないのですか?

早川そうですね。ものを運ぶ方法が変わっただけで製法そのものは変わっていません。
あと、豆を蒸すエネルギーは薪からボイラーへ変わりました。
八丁味噌は茹でるのではなく、蒸すんですね。
米味噌の豆は茹でるのが一般的だが、(八丁味噌の原料となる)豆は蒸してつくられます。

阪本水にもこだわりがあるのですか?

早川昭和初期までは井戸水で、とてもいい水が出ていました。
近所の魚屋さんが汲みに来られるほどだったんです。
目の前を流れる川も飲めるくらい。藻が本当にいっぱい生えていた。
良い時代だったですね。たった100年でだいぶ変わってしまった。

史料館の奥にも、実際に使われていた大きな桶が展示されています。

早川今、桶職人は全国で一軒しか残っておらず、その方もそろそろ引退すると聞いています。
技術を教わりに来る方もいらっしゃるようですが、いずれにせよ後継者問題はありますよね。
八丁味噌を造るのには木桶が欠かせないため、理想を言えば、桶職人を内製化させたい。
こういうことも真剣に考えないといけない時期にきました。

現在は若手の桶職人に頑張ってもらいたいと思っていますが、そのうち地域の大工さんに相談してみようかとも思っています。
大工さんの仕事も木工がとても減っているようですし、こういう仕事に関わりたいと思ってくださるといいのですが。

阪本一般の方も見に来ていらしてましたね。
今日は、朝から小学生やボーイスカウトのお子さんたちもお見かけしています。

早川年間で大体20万人の方に来ていただいています。半分が団体、半分が個人の方ですね。
工場見学を含めて30分ほどで回りますが、無料ということもあり、多くの方に来ていただいている。有り難いですね。
この史料館は、我々にとって八丁味噌を正確に知っていただくための発信拠点と位置づけています。
八丁味噌の技術と早川家の歴史を守る、この二つを両立させることが大事かと。

3.体調を崩して気づいた、食の大切さ

阪本早川さんが19代を継がれたのは、何歳ころの事だったのですか?

早川40歳代です。父はまだ元気でした。
父は地域の仕事も忙しくなっていました。

私は学生生活を終えてから、外の会社に修行に出ていた時に体を壊しちゃったんです。
独身で、インスタント食品ばかりの食生活をしていたのが祟った。
ラーメン、うどん、定食屋。それに酒だけ。
それで療養を兼ねて実家に戻り、仕事も手伝ったのが始まりです。

阪本インスタント食品が出た当時、私が小学生の頃はよく箱買いされていましたからね。
でも、そのようなことがきっかけだったのですね。

早川病気になってわかる考え方がありますよね。自然なものが一番良いというか。
あの時お医者さんから血をきれいにしろと言われて、自分も目覚めて、食生活等を変えた。
元気な時は気づかないものですが、健康が一番大切だと気づきます。
今66歳。病気の人の気持ちも少しはわかるようになったつもりです。

阪本近年、健康・美容への関心が高まる中、そういう流れで味噌を取り上げられることもあると思うのですが、作り手から見て、どうお感じですか?

早川愛知県は、糖尿病による死亡率が全国で一番少ないそうです。
八丁味噌にも取材が来ました。
(抗酸化作用や整腸作用のある)メラノイジンが入っているのが良いと言われているようですが、学者さん方に味噌の研究をもっとしていただけると有り難いですね。

阪本「良いだろう」とは言えるが、まだ実証まではいたっていないということですね。

早川体を壊して実家に戻り、味噌を食べる機会は確実に増えました。
ポパイみたいにすぐ元気になる訳ではないですが、朝、当たり前に出てくる味噌汁とご飯を軸とした食生活はやっぱり良かった。
免疫力が増えて予防につながる、という感覚みたいなものはあります。

阪本早川さんにとっての「理想の食事」とは、どういうものですか?

早川ベースとしてごはんと味噌汁。それに漬物や納豆があれば、なおいいね。
でも、仕事の前には納豆は食べませんが。

阪本全部発酵食品ですね。

早川あと、一汁一菜では足りないから、魚は欲しいかな。

阪本いいですね、身体に良さそうです。

4.日本の食と味噌

阪本八丁味噌と言えば、愛知以外の地域の人はどう使っていいか、よく知られていないようです。

早川最近、赤味噌を使ってできる料理として「名古屋めし」と言われるようになってきましたね。
ひつまぶし、味噌カツ、あんかけパスタ、味噌煮込みうどんなど。
土手煮も名古屋めしに近い形でよく話題に上ります。
お店でもご家庭でも一軒一軒で味が違うので、それぞれに個性があります。

阪本名古屋は徳川家康のイメージがある一方、結婚式に見られるような派手なイメージもあります。

早川三河と尾張、境川という川で東西に文化が分かれると言われています。
我々のいる岡崎は家康側(三河)です。
岡崎は質素倹約型の気質ですが、名古屋は徳川宗春が「経済は派手にしないとダメだ」という考えから派手にした名残があると言われています。
江戸幕府で徳川吉宗が質素倹約型だったのを宗春が守らず、いろいろあったという話と、実は仲がよかったという説もあるので、本当のところは専門家にお任せしますが。

阪本この辺りは味噌文化がありますが、一般的に味噌離れがすすんでいるように思いますが。

早川近年、年配の人は塩分を控えるために味噌から離れ、若い人は味噌に馴染まない食生活が普通になっているという印象を持っています。
でも、味噌はあり続けて欲しいですね。日本でもっと食べてもらいたいです。

阪本確かに塩分を気にされるため、お味噌汁を控えているとよく耳にしますが、一日一杯のお味噌汁には、塩分だけでなく栄養分も多いですし、もっと控える塩分は別にあると思います。
ご飯とお味噌汁の、食文化を大切にしたいですね。

早川海外では、健康に気を使っている方に健康食品としてお使いいただく傾向でしたが、最近になってようやく美味しい、という感覚が定着しだした、という感触を持っています。
ヨーロッパの方からは「スローフード」「自然のもの」「日本の伝統」という意味で味噌を評価いただいているように思えます。
カクキューの知名度はまだまだですが、八丁味噌という名前はだんだんと知られてきました。
海外で評価されることによって、国内でも一層注目いただければと期待しております。

阪本そうですね。
海外で「八丁味噌」の良さにもっと気づいていただき、評判が逆輸入するなんていうのもいいですね。
最近は、糖質ダイエットのように、「いい」というものに飛びつくところがありますね。
糖分・塩分に対しても、とにかく制限することが良い。であるとか・・・
また一方では大好きなスイーツを沢山食べながら、ダイエットをする矛盾であるとか、段々食生活が乱れている印象を持っています。

早川最近は栄養番組・健康番組・医療番組など、たくさん放送されていますよね。
それらの情報に反応して、皆さんいろいろと行動されていらっしゃるが、ブームで終わってしまうというか、長続きしているものをあまり見ないですよね。

私が一番願うのは、「カクキューの味噌大好き。それがないと困る。毎日当たり前になっている。」「カクキューの味噌じゃないとうちの店の味は出ない。」と言ってくださる方々のために味噌を造り続けて、長い間ご提供したいということですね。

阪本ファンですね。

早川そうそう、ファンであってくださることが有り難いです。

5.食の3重丸に対するご感想

阪本改めてになりますが、食の3重丸は、私ども雑賀財団の設立者の「人々を思う気持ち」が根底にあります。
設立者は、約50年前の精米されたご飯の中にもまだ石が残ってしまっていた時代に、米から石を取り除く機械を発明し、また環境を守るために無洗米を開発した者です。こういう経緯も踏まえて、食の3重丸には「生活者の安心のために」「社会のために」という思いがあり、同じような思いでものづくりをされ、生活者に製品を届けられている企業さまの応援活動を行う側面も持っています。
審査基準として「日本産」「環境を壊さない製法」「安心できるもの」を挙げており、添加物についても当初は必要最小限という言い方でしたが、ものづくりする上でなくてはならないものだけに絞り、より明確化しました。
昨年から生活者へのアピールにも力を入れだし、同時に志の近い企業さまとのコミュニケーションも密に図って、情報発信を強化していこうと考えています。

早川家内は食の3重丸を知っていましたよ。我々の製品が受賞させていただいていることは知りませんでしたが。

阪本知っていてくださったのはとても嬉しいです。
カクキューさまとは、8年ほど前からお付き合いいただいています。
食の3重丸に対して、何かリクエストなどございますか?

早川お客さま向けに、認定企業を複数見学するツアーをやって、その一環でカクキューにも来ていただくとかは、どうですかね。
どういう企業さんが登録されているのか、マークの意味なども行程の途中でしっかりお伝えいただいて。

阪本今、そういう企画も検討しているところでした。
ぜひご協力いただけると助かります。

早川食の3重丸は、企業が認定されるのですか? 製品ですか?

阪本製品です。
企業さまがつくられる製品のうち、受賞いただけるものが一つだけの所もあれば、企業さま自体が受賞できそうなところもあり、それぞれです。

早川企業活動そのものが、食の3重丸の審査基準を満たしている企業さんを「食の3重丸企業」として受賞できるようにしてみてはいかがですか。

阪本やりたいです。
そのように取り組んでくださることを望んでいますから。
そういう企業さまとの出会いは、まだ多くありません。

早川多くないからいいんですよ。
カクキューも、全部国産・無添加が目標。
食の3重丸でそういう項目を設けてくれれば、それが励みになります。
選ばれる企業さんが少ないことは悪いことではないですよね。質の向上を目指しているわけだから。

阪本はい。
食の3重丸の活動はずっと続けていく活動ですので、10, 20, 50年経った時の姿を描きながら、取り組んでいます。
今後、受賞企業さま向けのイベントも開催も予定していますが、その際に、特に優れた企業さまを特別に表彰させていただく方法はないものかと考えていました。
選定基準として素敵な考え方をいただくことができました。

早川食の3重丸の審査基準への達成度合いが向上しているようであれば、企業認定しても良いという見方もありますよね。

阪本そうですね。

早川我々も頑張らないといけませんが。

阪本カクキューさんのやってることがいいね、というお客様が増えるといいですね。

早川その通りです。

阪本安心な食を推進される際に、食の3重丸の看板が企業さまの後押しになるような、そういう存在にならないといけないと思っています。

早川かなり気を使っているつもりですが、我々もまだまだ改善したいと思っています。
私は幸か不幸か病気になってわかったことも多かったが、そういう人が増えないようにしないといけないですね。

阪本元気な時は気づかないものですよね。

早川自然の恵みだけでつくられた健康に良い食べもの。
我々はそれを八丁味噌というブランドを守ることと一緒に追求している。
会社として大きくなることだけを考えず、ファンでいてくださるお客さまに提供し続けることを軸に広がっていくのが一番いいと思っています。

阪本スーパーで普通に並べているだけでは、違いも伝わりにくいものです。

早川価格だけではない魅力をもっと磨かないと。
無添加・自然の恵みであるという点を重視した営業の仕方を確立できたら、という考えも持っています。

阪本私たちは、作り手でも販売者でもない立場だからこそ伝えられることがあると思っています。
長く守られてきたつくり手さんの伝統やこだわり、そして、自然の恵みに根ざし安心できる製法で作られた製品の魅力に対して共感して頂ける人を増やしていくことが、食の3重丸のやるべきことなのだと思います。

早川そうなんでしょうね。
企業の社長さんにとっての金メダルみたいな存在になってください。

阪本ありがとうございます。
これからも、ぜひよろしくお願いいたします。
食の3重丸主催(一般財団法人 雑賀技術研究所 理事)

合資会社 八丁味噌(屋号:カクキュー)
創業1645年。
1560年(永禄3)桶狭間の戦いにおいて今川義元が敗れた際、義元の家臣であった早川新六郎勝久は武士をやめて岡崎(現舳越町付近)へ逃れ、久右衛門に改名し、寺で味噌造りを学ぶ。
その後、数代後の子孫が現在の場所である岡崎市八帖町(旧 八丁村)へ移り味噌屋を創業。
岡崎城からちょうど西に八丁(約870mの距離)離れている八帖町(旧 八丁村)で造られた味噌を「八丁味噌」と呼び、その歴史と技術を守り続けている。
URL:www.kakukyu.jp