AWARD2019年度. 認定製品
- 認定製品 デジタルカタログ
「日本産」で「安心」な製品で、さらに「美味しさ」の基準を満たした『食の3重丸 認定製品』を紹介します。
認定企業・製品の詳細は下記よりご覧いただくことができます。
納豆
- 青森県農産品加工 協同組合
- あおもり正直村つぶ納豆(大)
1904年(明治37年)創業の有限会社かくた武田が製造するつぶ納豆。
創業以来、食品添加物を一切使用することなく、よい納豆の条件を〈アメ色〉〈適度の歯ごたえ〉〈強い糸引き〉とし、武骨な納豆と呼ばれながらも、本物の納豆を目指し守り伝える伝統の風味をご賞味下さい。
原材料 : 大豆・納豆菌
賞味期限 : 製造日より10日間
内容量 : 90 グラム[g]
価格 : 140円 (税込)
URL : オフィシャルサイト
アレルギー表示 (7大アレルゲン):なし
納豆は弥生時代から存在したと言われ、少なくとも平安時代中期に藤原明衡が記した「新猿楽記」に納豆の記録が残されています。これらかつての納豆は、大豆を煮て藁で包み「自然発酵」させることでつくられてきましたが、今日のような産業的に安定した製法が確立されたのは100年ほど前のことです。
その歴史は、1905年(明治38年)に東京帝国大学農学博士沢村真氏の納豆生成に関与するバクテリアの分離に遡ります。その後、1919年(大正8年)に後の世に「納豆博士」と呼ばれた北海道帝国大学半澤洵教授が衛生的な経木(きょうぎ)での納豆づくりを提唱されたことで近代納豆製法が普及し始めました。
青森県において、この半澤式納豆製法に注目したのが「青森納豆」の開祖 武田佐吉です。武田佐吉は自ら納豆菌の培養に着手、盛岡高等農林学校村松舜祐教授の知遇を得たことで1925年(大正14年)、実用的な納豆培養に青森県の納豆製造業者として初めて成功しました。
試行錯誤の末1927年(昭和2年)には現在の「青森納豆」の製法を確立しますが、以来、食品添加物を一切使用することなく、よい納豆の条件を〈アメ色〉〈適度の歯ごたえ〉〈強い糸引き〉とし、武骨な納豆と呼ばれながらも、本物の納豆づくりに邁進しています。
「青森納豆」の二代目武田信太郎は、1956年(昭和31年)、全国で初めて「生大豆」を砕いてつくる「挽き割り納豆製法」を完成させました。挽き割り納豆の起源は秋田県横手市と言われ、青森県でもそれまでは大豆を炒って石臼で挽いて挽き割り納豆をつくってきましたが、色が黒く、味は玄人向けでした。信太郎が開発した「生大豆」を砕いた挽き割り納豆は、「見栄えが良く」「風味が万人向け」とされ、その後15年をかけて全国へその製法が広がっていきました。秋田や青森には挽き割り納豆の先駆者が多く、当地でのつぶ納豆:挽き割り納豆の消費は、今でも6:4と言われています。
1970年代に大豆の自給率が低落する中でも「青森納豆」は、国産大豆にこだわり続けました。当時大豆は肥料としても使用され、カタクチイワシが不漁の年には価格が高騰しましたが、そんな中においても素材にこだわり続けてきました。
2009年(平成21年)に、青森県の食品製造業者が集まり、青森県産原料を使用した食品づくり「あおもり正直村」の運動を開始します。この地産地消運動に「青森納豆」の五代目武田充浩は、中核を担う者として参加し、試行錯誤の結果、青森県産オクシロメを全量使用した「あおもり正直村納豆」を開発しました。その名のとおり「青森納豆」を進化させたのです。
かつて糸引きの強い納豆は珍しいものではありませんでした。しかし、消費者の方の趣向や納豆の製造現場も変化した21世紀の今日、よい納豆の条件を〈アメ色〉〈適度の歯ごたえ〉〈強い糸引き〉を信条に納豆づくりを続けるものは多くはありません。
良い納豆は、完熟を示すアメ色を示し、また、納豆の表面には、若干のシワができます。納豆菌は、活発な発酵過程で大豆に含まれる水分を多量に消費するので、適度の歯ごたえのある柔軟性を持つようになります。また、納豆菌は大豆タンパク質を分解してグルタミン酸を主体とする十数種類のアミノ酸や糖類に変換し、それが強い糸引きに残ります。
時代に残された納豆、武骨な納豆と呼ばれながらも、本物の納豆を目指し守り伝える。その伝統の風味を是非一度ご賞味下されば幸いです。
製造元 | 有限会社かくた武田 |
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住所 | 青森県青森市千刈一丁目21番5号 |
食品添加物 | (1)使用していない |
保存方法 | 要冷蔵7℃以下 |
JANコード | 4966083800516 |
内容量違いの製品 |
45
グラム[g]
:
79 円 (税込)
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